〜十一の月、マネッチア〜
その日、クレツェントに来たカトレアからの使者は、
いつもの友好使節という雰囲気ではなかった。
どちらかというと騎士団と言った方が良さそうな出で立ちであった。
「アーウィング王子の屋敷まで案内いたします」
「君も騎士か?」
「ええ。カイザー=グレイと申します」
「私はルーディス=ゼファーだ。この小隊を束ねる役を任されている」
およそ20人という小隊。いずれも年若い騎士ばかりだ。
「みんな若いからびっくりしてる。頼りなく見えるのかな?」
背の低い少年のような騎士が話しかけてくる。
「失礼しました。外見で人を判断するべきではありませんよね」
「そう。君も十分若いし、僕も若い。
でも、若いからこそ都合が良い事もあるんだよ」
「ラナン、喋り過ぎだ。さっさと馬に乗れ」
注意されるとペロッと舌を出して笑う。
随分と幼い印象を受ける。
「では、付いて来て下さい…はっ!」
手綱を握り、馬に出発の合図を出してやる。
王城からアーウィングの屋敷まではそう遠くない。
馬なら半日もかからずに付く。
元々、貴族の屋敷だったものを買い取ったというだけあって、
広い敷地に見合う建物が建っていた。
古めかしい造りだが堅固にできている。
「こちらです。私が先に行って話をしてきます。
馬は裏手に止める場所が設けてあるはずですので…」
カイザーがここに来るのは初めてではない。
だが、屋敷の中に入るのは初めての事だった。
ベルを鳴らすと、シレネが扉を開けてくれた。
「カイザー様。今日はいかがなさいました?」
「カトレアから騎士の方達がお見えです。
案内を頼まれてお連れしたのですが…」
「まぁ…カトレアから…」
すると、アーウィングが現れた。
「どうしたの?」
「カトレアから騎士の方が来られたとか…護衛という事なのでしょうけど…」
「そう…カイザー、案内、ご苦労だったね。
彼らに中へ入るよう言ってもらえる?」
アーウィングは困ったような表情で微笑う。
「はい。では、私はそのまま失礼いたします」
引っ掛かるものを覚えたが、そのまま騎士の連中を通して帰る事にした。
帰り際、屋敷を振り返ると露台にアーウィングの姿があった。
(何を見て…)
カイザーの目に映ったのは、いつものアーウィングとは別人の表情。
彼は何も見ていなかった。
目に映る空の色さえ。
(似ている…誰に?)
ため息が零れる。微かに寄せられた眉、固く結ばれた唇が震える。
(私は前にもこんな表情を…どこで?)
声が聞こえてきた。
――寂しいよ。
城に戻ったカイザーはリディアの部屋を見舞った。
「失礼します。お加減はどうですか?」
「今日は調子が良かったの。
それより、カトレアからのお客様はどうでしたか?」
リディアが柔らかい表情で微笑む。
「はい。無事、アーウィング王子の所へ送り届けました。
静かなあの屋敷が賑やかになりそうです」
「そう。それで、アーウィング様はお元気でしたか?
この所、また忙しいようで、随分お会いしてないから…」
アーウィングもリディアも、ただの少年少女という立場ではない。
特に、この国を治める女王の夫として
政務を取り仕切らなければならないアーウィングには、その為の勉強が付きまとう。
リディアが健康な身体であれば、リディアに課せられたであろう事が、
全てアーウィングに課せられる。
他国から来たアーウィングは一からそれらを築いていかなければならなかった。
「…お元気そうでしたよ」
気になる事はあったが、カイザーは敢えてそれを口にしなかった。
「ねぇ、カイザー?」
「はい?」
「不思議なの。
アーウィング様って、時々ライラお姉様と似てる気がするの…」
今、ライラの名を口にする者はこの国にほとんどいない。
魔族の子を宿し、その罪で幽閉されている元・王女…リディアの双子の姉。
「違う…そう、でも思い出すの。
お姉様と過ごしてた時間…同じような安らいだ時間を過ごせる人。
不思議よね」
そう言われて、カイザーはハッとした。
アーウィングと同じ表情、どこかで見たと思っていた。
それが、ここにあった。
(ライラ様…)
時々、ハッとするほど寂しそうな表情をする王女。
日の光の中にいて、その輝きのままに育った美しい王女。
真っ直ぐで、迷いなど無い、純粋な心の持ち主だと思っていた。
その、時折見せる影の差した表情を、自分は見て見ぬフリをした。
寂しいというその心に、声に気付いていながら、無視をした。
突き放した。
それでいて、その事を悔やんだ弱い自分――。
『私、寂しいって言葉を口にした事、ずっとなかったわ。
でも、その心に気付いてくれる人がいた。
それだけで、私は孤独じゃない。
だから、平気よ。
ここは寂しい所かもしれないけど、私は孤独じゃないから』
冷たい石造りの塔の中で微笑んだ彼女を思い出す。
彼女に孤独の影は無い。
『枝は折れてしまったけど、頑張って咲いたんだよ?花ってすごいと思わない?』
嵐の跡の残る庭でそう笑った少年。
純粋な心に自分は救われた。
今、その笑顔が曇っているなら、今度は自分が晴らしてやりたい。
そうすれば、記憶の中の彼女も救えるような気がして…。
朝が来る。どんな時でも早く目覚める体質にうんざりしながら、
着替えて庭に出る。
降りてくる時に様子を覗いたら、騎士たちは皆、眠っていた。
昨夜の宴会が朝方まで続いたのは予想がつく。
(久し振りだっていうのは解るけど、主君を無視して盛り上がりすぎだよ…)
その輪の中に入る事もできず、その騒ぎを収める事もできなかった。
見えない境界線をはっきりと見えるほど感じてしまうから…。
(もうしばらくは、自由でいられると思ったのに…)
庭はほんのりと露を含んで、冷たい風に冬を感じた。
「もう、冬なんだ…」
寂しいと感じる心、それを言葉にするには勇気が必要。
それは自分のワガママ。
事実を変える事はできはしないのに――。
遠くで馬の蹄の音が聞こえる。
段々と近付くその音。
「…どうして、君が?」
「…少し、昨日の様子が気になって…」
アーウィングは不思議そうにその人物を見上げた。
すると、馬から下りたはいいが、言葉を探している様子に、
アーウィングの方が声を掛けた。
「昨日はあの後、騎士たちばかりで大宴会をしてね。
朝方まで飲んでたのか、皆すっかり眠ってるよ…」
「…いえ、そうでなく、貴方のことが心配で…」
思ってもみない言葉にアーウィングは固まってしまう。
「こんな事を言うのは失礼かと思ったのですが、
貴方がとても寂しがっているような気がして…」
アーウィングの顔が紅く染まる。
つられてカイザーも紅くなってしまう。
「僕、そんなに寂しそうなカオしてた?」
俯きながら尋ねる。
「私には、そう見えました。
無理をしている。そんな風にも…」
「そ、そう。うん、大丈夫だよ。
こんなの…これは、僕のワガママだから…」
笑顔を作ろうとした瞬間、涙が零れた。
「ご…ごめん。何か、変…だよね?
何でだろう?笑いたいのに…」
「無理に笑顔を作る事はないですよ。
昔、そんな風に強がって、一人で泣いていた人を私は知っています。
その人は、『寂しさに気付いてくれる人がいるだけで、
自分は孤独じゃない』と言っていました。
私は、それに気付いてやれなかった。
そして、その人が寂しかった時、助けてやれなかった。
貴方はその人と同じ表情をしていた…
だから、どうしても貴方に伝えたかった…」
普段、滅多に見る事のできないカイザーが、そこにはいた。
「辛い時は、私に話してください。
どんな事でも、力になる。
寂しい時は、私を呼んでください。
貴方は独りじゃない。
何でもいい、話をしましょう。
寂しさが無くなるまで付き合います。
だから…貴方が自然に笑えるまで、手伝いがしたい。
私では、その助けになりませんか?」
アーウィングは首を横に振った。
「そんな事、言ってくれたのは――君が初めてだ」
顔を上げたアーウィングの瞳に、カイザーが映った。
「僕は、きっと寂しかった。
フェンネル達との暮らしは幸せで、この生活が続けば良いって思ってた。
でも、他の騎士達の前では彼らも騎士の一人で、
僕はその主君でしか在り得ない。
その事実が解りすぎて…」
兄弟同然で育った仲とはいえ、
他の騎士達の前でも同じ態度という訳にはいかない。
その事はアーウィングも解っている。
だが、"だから平気"という訳じゃない事を彼らは知らない。
そして、それを寂しいと思うのは、自分のワガママだとずっと我慢していた。
「カイザー…ありがとう」
アーウィングが微笑った。
その晴れやかな表情にカイザーは安堵する。
記憶の中の彼女も微笑んだ気がした。
「リディア姫がどうして君の事好きなのか、解った気がするよ…」
ポツリと洩らしたその言葉はカイザーには聞こえなかった。
すでにカイザーは馬に乗って、帰ろうとしていた。
「ねぇ!」
アーウィングが呼びとめる。
庭を飾るその花を摘んで、差し出した。
「もっと、もっと君と話がしたい!僕は、君と友達になりたい!」
赤い筒のような形の小さな花。
庭の支柱に絡みつくようにして伸びたその草は、
赤い小さな花を火花のように散らして咲かせる。
それを摘んで差し出したアーウィングの意図は、
カイザーはもう知っていた。
「私でよければ…」
その花を受け取る。
「その花はマネッチア。小さな花がたくさん咲いてるでしょ?
この花みたいに、たくさん話をしよう。
僕は、君が好きだ。
約束だよ?これから、色んな話をしよう。
たくさん、たくさん話をしよう!」
「約束します!では…!」
カイザーは馬を走らせた。
その背中を見送って、アーウィングは部屋に戻った。
城に戻ったカイザーは、その日もいつものように仕事をこなし、
リディアの元を訪れた。
部屋に入ると、リディアはカイザーの左胸を見て微笑んだ。
「何か、おかしいですか?」
「その花、どうしたの?」
答は聞かなくても分かっているが、敢えて訊く。
「花…ああ、そうか…ここに入れておいたのを忘れてました」
カイザーは花を左胸のポケットから取り出した。
「今朝、アーウィング王子を訪ねたのです」
「カイザーが?」
「少し、お話したい事があって…その…」
アーウィングと知り合ってから花と花言葉に詳しくなったリディアは、
堪えきれずに笑みを零す。
「それで、もっと話をしたいと言われたのね。
その花を受け取ったという事は、約束したのね?」
「はい…」
何となく申し訳なさそうにするカイザーの様子がおかしくてならない。
「私、こうなる予感はしていたわ。
アーウィング様が貴方を気に入っているのは、私、前から知っていたもの…」
「私なんかのどこがお気に召したんでしょうか?」
リディアはこう答える。
「そういう所よ…」
ラナン登場!いきなりシリーズに割り込んできた新キャラですが、
いかがでしょう?
僕は割と好きですよ。
でも、これを読んだ大半の人はカイザー×アーウィングと思ってしまうでしょう。
言い訳はしません。
「だってアーちゃん総受なんやもん!」
上の戯言はくわしくは「黄金の月」で。